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前代未聞の第一生命「19億円詐欺」89歳セールスレディの素顔(中編)

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〜市長も一目置く有力者に89歳セールスレディがのし上がるまでの軌跡〜

2020年10月に発覚した山口県周南市を舞台にした詐欺事件。
その被害額の大きさから大々的に報道されました。
被害総額はなんと19億円。

しかも犯人のセールスレディMはなんと御歳89歳!?
なぜこのセールスレディは19億円ものお金を顧客から騙し取ることができたのか。

実は、彼女は地元では知らない者がいないほどの有名人で、しかも市長でさえも一目置くほどの地元に影響力を持つ有力者だったのです。

今回は、その特集記事の第二回。
Mが犯罪に手を染めるに至るまでの経緯に迫ります。

89歳セールスレディはなぜここまでのし上がれたのか

ニュースの情報をまとめると、第一生命に入社するまでのMは、こんな経緯でした。

Mは、周南市から車で30分ほどの山間部の出身。

決して豊かな家庭ではなく、6人きょうだいの長女で、弟が一人、妹が4人という構成でした。

兄弟揃って優秀で、近所で有名だったようです。

弟は一橋大卒業後、大阪の事務機器メーカー社長になったほど。

M本人は体が弱くて大学に進学できませんでした。

徳山市内の女学校を卒業後、母と託児所を始めました。一時期はかなり盛況だったようです。

相前後して、公務員と結婚。Mとは対照的に口数が少ない、大人しい人物でした。のちにMの秘書的な仕事をしていましたが、すでに10年前に他界しています。

ところが、1960年代半ばには、近隣に託児所が増え始めたため、託児所経営が傾き始めました。

そこで、託児所経営はあきらめて、第一生命へ転職しました。

30代半ばのことです。

その頃出会ったのが、山口銀行の営業部長という要職をつとめていた田中耕三氏という人物です。

この人は、その後グングン出世して、山口銀行の頭取まで上り詰めます。

そればかりか、取締役相談役に退いてからも行内の実権を握り、その後何十年にもわたって実質的に銀行を支配し続けた人と言われています。

この人物との関わりが、Mの人生を変えます。

その田中氏がこんな証言をしています。

「彼女と最初に会ったのは私がまだ40代の頃、彼女の親戚から『応援してほしい』と紹介を受け、話してみるとひたむきな様子が伝わってきて、これは面倒を見てやらなきゃ、と思いましたよ。」

「以来、頭取をやめるまで、時おり人を紹介してあげたり、支店長に電話をして「よろしく頼むよ」と伝えてあげたこともあります。そのあと契約をモノにしたのは彼女の実力だと思うけどね」

しかし、実態としてはとてもそんな生易しい関係ではなかったようです。

「実録 頭取交替」という本があります。

山口銀行の元役員が書いたこの本は、同銀行のドン田中耕三氏の銀行支配ぶりがこの本のモデル、というのは公然の事実です。

この本で描かれているのが、相談役に退いた田中氏が、自分の意に沿わない後任の頭取の首をすげ替えたという事件です。

実は、その対立の元になったのがMなのです。

田中氏とのつながりをバックに、同行内での影響力を増していったMは、一時期、同行の「保険料ローン」(節税などの目的で保険に加入する企業に対する貸付)の実に70%をM一人で占めていたほどでした。
凄まじい癒着ぶりです。

後任の頭取が、彼女の影響力を排除しようとしたことがこの交代劇の引き金になったのです。

交代劇では田中氏が勝ち、彼女の影響力はめでたく保持されます。
こうして、地元では知らない者がいないほどの有名人になったのでした。

それでは、ビジネスウーマンとしての彼女の仕事ぶりはどうだったのでしょうか。

意外なほど実直な「89歳セールスレディ」の仕事ぶり

また、前出の「現代ビジネス」から引用してみましょう。

『Mは、自腹を切って、田中氏から紹介された支店長たちを熱心に接待していたという。

 田中氏とは別の同行の元役員が言う。

「彼女は『出世する人間』の嗅ぎ分けが上手かった。ウチの会社に限らず、県内の主要企業のトップに食い込み、その威光を上手く使って効率的に営業をかけていました。整った顔立ちだけど、酒はまるで飲めない。『色仕掛け』を疑うひともいたけれど、純粋に営業として優秀だった」

 営業レディとしての腕前は、周囲の誰もが認めるところだった。

 Mが顧客への手土産を仕入れていた地元の土産物屋の店主が語る。

 「とにかく、偉い人の心をつかむのが上手で、土産物を持って『元気ですか』とふらりと訪ねていく。ウチで買ってくれた品物も絶対に郵送にはしない。

 そして、人に会った日にはすぐに礼状を書き、翌日には必ず届くようにする。誰でも思いつくことかもしれませんが、あれだけ長く愚直に続けられる人はなかなかいないでしょう」

 県内の大手企業の幹部を押さえるのと同時に、Mが顧客として大量に抱えていたのが、地元の開業医だった。

 「県内の医院をタクシーで次々と回っていました。嘘か真か、本人は『山口の開業医の8割は私のお客さんよ』とまで豪語していた」(Mの知人)

 この開業医の顧客を得るのに、山口銀行の支店長たちとの関係が大いに役立った。

 「勤務医が開業するのには多額のおカネがかかります。そこで、Mさんが山口銀行につなぐと、滞りなく融資が受けられる。

 そうやって開業時から世話になるから、医師のほうもMさんには頭があがらず、後輩が開業するときにはまた彼女を紹介する。彼女は市内の医師たちを次々と顧客にしていった」(前出の知人)

 大口や高額の契約を山ほど抱えるMの契約高は膨らみ続け、気づけば第一生命全体で一、二を争うほどのセールスレディへと駆け上がった。

「高額の契約を達成した保険セールスだけが加入できる国際団体『MDRT』の会員になっている第一生命のセールスは国内に約190人ですが、彼女はその中でもトップ。バブル期の年収は1億円を超えていたはず。ちなみに、同社の他の支社に勤める彼女の娘さんも、同じくMDRTの会員です」(前出・第一生命社員)

 そして、Mの華麗なる履歴の集大成こそ、勤続50周年の記念祝賀会だった。

 「来客のなかには、藤井律子周南市長や、林芳正参議院議員の妻もいて、彼女の威光を物語っていました」(出席者) 

 当時、山口県議だった藤井市長はこう証言する。

 「どなたかに紹介されて、ここ6~7年くらいのお付き合いです。年に1回顔をあわせるかどうかというくらいの関係でした。保険に誘われたことも、寄付金をもらったこともありません。なにせ地元の有名人なので『すごい方だな』と思っていた程度で……」』

 市長から「地元の有名人」「すごい方」と呼ばれるほどのMって・・・・

 さらに引用を続けます。

『あらゆる地元の名士たちに顔が利くMは、第一生命にとって、
 オフィス内で最も重要な人物だった。

 上席の社員が「M特別調査役担当」の肩書でカバン持ちをし、その他にも秘書的な立場の専属スタッフまでついていたという。

 オフィスの1階には専用の個室もあり、お客さんに持っていくためのお土産が山積みになっていた。壁に張られたカレンダーは、いつも予定で真っ黒でした」(同支店の関係者)

 移動は、300mほどの距離でもすべてタクシーで、代々お抱えの運転手がついた。』

(WEBサイト「現代ビジネス」より)

さて、どうでしょう。

ここでは、仕事熱心で、実直なビジネスウーマンの素顔が浮かび上がってきますね。

その一方で、地元や第一生命の社内での異常なほどの権勢ぶりがわかりますね。
彼女に対して意見の言えるような雰囲気ではなかったことでしょう。

それでは、プライベートな彼女の顔はどうだったのでしょうか。
実は彼女はさらに意外な素顔を見せるのです。

(次回記事、
前代未聞の第一生命「19億円詐欺」89歳セールスレディの素顔(後編)
     〜19億円を集めた89歳セールスレディの意外な素顔とは〜

に続く)

この記事を書いた人
大坪 勇二

1964年 長崎県生まれ

九州大学卒
コンテンツプロデューサー
「稼ぐプロを作るプロ」

大企業新日鉄の経理マンに飽き、ソニー生命の歩合営業マンに転身するも2年間ダメで貯金が底をつき、身重の妻と月11万円の住宅ローンを抱えて、手取り月収が1,655円とドン底の時にやる気スイッチオン。
6ヶ月間の「大量行動」で富裕層とのパイプが開け法人超大型契約で手取り月収が1,850万円に。現役11年間で累計323億円の金融商品を一人で販売。
その後、「社会の問題を、仕事のプロを育てることで解決する」をモットーに出版社を設立。現在に至る。障がい者福祉事業、複数の社団法人オーナーでもある。

著書に『手取り1655円が1850万円になった営業マンが明かす月収1万倍仕事術』(ダイヤモンド社)『月収1850万円を稼いだ勉強法 ~伝説の営業マンはどう学び何を実践したのか~』(祥伝社)などがある。

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