中小企業経営者にとって、M&Aは身近な存在になりつつあります。しかし、自分の会社を売却することに躊躇する経営者の方はまだまだ多いでしょう。ゼロから会社を立ち上げ、さまざまな苦労を重ね続けた汗と血と涙の結晶でもある自分の会社ですから、愛着があって当然です。「会社を売ってしまうと、大切ななにかを失う気がする」「会社を売ることは負けだと感じる」「会社を売ることは自分の人生を否定する気持ちになる」。そんな経営者の方も多いと思います。今回は、実際にM&Aによって会社を売却した70代経営者のお話をご紹介します。
M&Aによる会社の売却を検討したきっかけ
今回取材に応じてくださったMさんは、70歳を超えた中小企業経営者。30代の頃に人材派遣会社を起業し、40年近く会社を経営してきました。
―いつ頃から会社の後継ぎについて考えるようになったのでしょうか?
Mさん:そろそろ後継者を…と考え始めたのは、60歳を迎える頃でしたね。うちは子どもは娘一人だけなので、娘に会社を継がせることは私も妻も考えていませんでした。そこでまず考えたのは、社内承継(MBO)でした。役員の一人に後継者を選んだんですが、これまでやってきたことを全否定して進めようとしたので途中で止めました。他の役員も考えたのですが、後継者になれると確信できるほどの人はなかなか見出せずで…。それで、最初は銀行の人と話し合いました。そのとき、会社を売却してはどうかという提案をもらいました。
M&Aを進めていくうちに生じた心境の変化
―銀行からM&Aを提案されたときは、どう感じましたか?
Mさん:正直なところ、少しムっとしましたよ。自分で作って育ててきた会社ですし、会社にも社員にも取引先にも愛着がありますから。お金に換えられない価値があると思いますし、死ぬまで続けたいという気持ちもありました。さすがに80歳まで現場にいることは難しいだろうと感じていましたが、70歳くらいまでは経営会議や役員会にも出ていたいと思っていましたね。ただ、65歳を過ぎてくると、今までなかったミスをしたり、思考が固まったり、単純に体力の衰えも実感してきました。
会社の売却を決断できたのは「老い」の実感
―そのことが、会社をM&Aする決心につながったのでしょうか?
Mさん:そうですね。身体や頭の衰えを実感したことは、大きく影響していると思います。社長がミスをすれば、社員たちにも当然影響は出ますから。それに、自分が社員だと考えたとき、社長がヨボヨボだと「社長はいつまで会社を続ける気なんだろう」と不安になると思ったんです。老いぼれ社長は社員を不安にすると感じたので、だったら若い人に会社を託そうとM&Aを決心できました。それと、実は会社をどうしても経営したいというわけでもない自分に気づいたというか。経営者は、私の若い頃の夢ではなかったんですよ。他にやりたいことが実はあった。それを思い出したというか気づいたので、老後の愉しみを見つけたことも大きいと思います。
―それはどんな夢だったんですか?
Mさん:それはまだ内緒です。私もワクワクしているところですよ。
難航するM&Aの交渉
―M&Aを実行するにあたって、苦労したことはありますか?
Mさん:やっぱり、譲渡金額の折り合いがなかなかつかなかったことですね。買い手企業さんの希望額は、私の希望の3割引きほどでした。愛着がある会社だから、そんなに安く売ってたまるか!と思うじゃないですか。私の考え方や会社の実績や現状をすごく評価してくださる企業さんだったので、この企業にならうちの会社を託したいとは思っていたんですが。譲渡金額の折り合いがつくのに数ヶ月かかったと思います。結局は、買い手企業さんに希望額どおりにしました。
―よく決断できましたね。
Mさん:M&Aアドバイザーの方に背中を押されたんですよ。「社長、あなたが買い手だったらこの金額で買いますか?」って。確かに自分なら買わない(笑)。アドバイザーの方と話しているときに、あまり強気な譲渡希望金額を設定すると、プライドが足かせになることがあるという売り手の失敗事例をお聞きしました。それを思い出して、「自分がそうなっている」と気づけたんです。
―そのM&Aアドバイザーの方は銀行の方ですか?
Mさん:いいえ、銀行の方は買い手の企業さんを見つけられなかったので、M&A仲介をしている人を経営者仲間から紹介してもらいました。誠実な人だと会ってわかったので、すぐに買い手候補企業のリストを作ってもらったんです。
―良いM&Aアドバイザーの会えたのは幸運ですね。
Mさん:昔から運は良いので(笑)。
―会社を売却した今は、すっかりリタイア生活を?
Mさん:今も会社には顧問としてかかわっています。すぐに私が完全に身を退くというのも、買い手企業さんには不安があったようなので、そこはじっくり話し合って、2年ほどは顧問としてかかわることになっています。会長になるという提案もいただいたんですが、顧問を選びました。あと、実は小さな人材育成の会社を作っていて、そちらも軌道に乗ってきています。結局、まだ現役の経営者です(笑)。
M&Aアドバイザーの助言によって売却を決断し、Mさんは今の生活を楽しんでいるようです。顧問として会社にはかかわり続けており、引退生活というわけではないですがMさんの表情はとても豊かで笑いの多いインタビューになりました。会社を売却してセミリタイア生活を送るのも悪くないかもしれませんね。