自己投資は裏切らない究極の投資

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事業拡大や多角化経営、業種転換、今は難しいかもしれませんがコロナ後には海外進出…etc. 会社を成長させようと考えたときには、やはり先行投資が必要になります。しかし、そう簡単にリターンを得られないのが投資。では、自分を裏切らない究極の投資とは何なのでしょうか?

自己投資は究極の投資手法

事業投資やM&A、株、為替、暗号資産、不動産…etc. 投資の選択肢は数多くありますが、“究極の投資”とは何なのでしょうか。その答えは、人によってそれぞれでしょう。

しかし、多くの投資家は「究極の投資は自己投資」と言い切ります。私の周りにいる投資家も同様です。自己投資によって得たことは、決して自分を裏切ることはなく(活かせるかは自分次第ですが)、人に奪われることもないからです。

自己投資とは、言い換えれば経験や体験、知識、あるいは知恵や知性のこと。そして、そこから派生して生まれるアイディアや行動も自己投資と深く関連しているでしょう。

例えば私の場合、二十歳の頃には、今のように日本で経営アドバイザーをしたり、海外で事業をしたり、投資をしたり、原稿を書くような暮らしは想像もしていませんでした。今のような暮らしを夢見て計画的に実現してきたわけではなく、偶然の産物です。特に今後の夢はありませんが、今が夢の途中と思って日々生活しています。人間の想像力は無限ですが、自分自身の想像力なんて、結局は自分の経験した範囲プラスアルファ程度しか働きません。

いくら計画しても、計画どおりにいかないのが人生です。しかし、思いどおりにいかないときにこそ、実は思っていたより良い道を示唆してくれていることがあります。当初の計画に執着せず、偶然を受け入れることが大切でしょう。人生も事業も投資も一緒ですね。常に行動しながら考え、柔軟性と忍耐力を持ち、必要な観察や反省をし、考え過ぎないように行動し続けることです。

投資と浪費の見極め

人生は意思決定の連続で、時間やお金を別のなにかと交換していく、ある意味ではトレードの連続です。時間やお金を投下するときには、それが「投資」か「浪費」かを無意識であれ有意識であれ判断しています。投資と浪費の中間には「消費」がありますが、見合うリターンがあるという意味では消費も投資に該当するでしょう。

私のなかでは、浪費とは大多数の人がすでに価値を認めているものに時間やお金を投じることで、使った後に幸福感はなく、その時間やお金を取り戻すのが難しい、悔いの残る使い方です。

一方の投資とは、多くの人がまだ価値を認めていないものに時間やお金を投じることで、使った後に幸福感があり、なにかプラスアルファを連れて帰ってきてくれそうな使い方です。

その瞬間瞬間に浪費か投資かを考えながら日々生きているわけではありませんが、時折振り返ってみるのも良いでしょう。しかし一番良いのは、なにも考えずに時間やお金を使っても幸福感を得られ、悔いを残さないことです。

「知識はだれにも奪えない」というユダヤの教え

有名なユダヤの教えに、「知識はだれにも奪えない」という言葉があります。以下のようなエピソードです。

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ユダヤ人は長い間家を焼かれ、土地を奪われ、財産を没収され、国から国へと追われた。そこで、ごく最近まで、ユダヤ人の子どもは、幼いときから母親に、

「世の中で一番大切なものは何か?あなたが生きている限り、人があなたから奪えないものは何か?」  

と聞かれ、  「お金」 とか 「ダイヤモンド」  と答えると、  

「いいえ、それは知識です」  

と教えられてきた。

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上記のとおり、得た知識はだれからも奪われません。いわゆる「無形資産」が知識です。単に知識だけではなく、経験や体験、アイディア、人との縁、行動することも無形資産でしょう。これらの資産は、行動次第で一生涯を通じて増やし続けることができるものです。

学びは、「学生時代で終わり」ということはありません。自分の人生を生きるには、人生が終わるまで学び続けることでしょう。もちろん、「学ぶ“べき”である」とか「学ばなければ“ならない”」なんてことはありません。気楽に愉しく学び続けることです。苦行では意味がありませんからね。

分野や先入観、固定概念に捉われず、学問分野を超え、業界を超え、国境を超えて学び続けることで人生はより豊かになりそうです。

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